頼朝に、後白河法皇からの院宣を届けるなど、物語の中で重要な役割を果たしていた文覚上人。
しかし、頼朝の死後は、その存在は、周囲から煙たがられ、邪魔者としてしか、映らなくなる。
特に、後白河法皇亡き後、朝廷の実力者になった後鳥羽天皇は、文覚上人から、政治ではなく遊びばかりに熱心だと批判され、文覚上人を快く思っていなかった。
ついに、文覚上人は、80才を迎える直前に、謀反の疑いをかけられ、隠岐の島に島流しの刑にあう。
文覚上人は、後鳥羽天皇を深く恨んでいたが、後年、承久の変に敗れた後鳥羽上皇は、奇しくも、同じ隠岐の島に流された。
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