2012年6月16日土曜日

巻第七:斉藤別当実守の死

木曾義仲を迎え撃った平家の陣営に、武蔵国の出身であった斉藤別当実守がいた。

斉藤は、平家が源頼朝の軍勢と初めて退治した富士川の合戦にも参加した武士で、この時、すでに70才近かった。

すでに髪の毛は真っ白。そこで、出陣にあたって、髪を黒く染め、敵からは壮年であるように見せかけての出陣。しかし、年には勝てず、木曾義仲の軍勢の若い武者に打ち取られてしまう。

たとえ、年老いても、一度戦となれば、自らの家や名誉のために、命を懸けなければならない。髪の毛を染めてまで、戦場に立たねばならなかった斉藤別当実守という存在は、強烈な印象を私の心に残した。

巻第七:平家の滅亡の始まり

この物語では、平清盛の死が、平家の滅亡の始まりであったかのように描かれている。

木曾義仲が北陸で挙兵し、倶利伽羅峠で迎え撃つ平家を撃退し、京都に迫る。それを受けて、平家はついに都落ちを決意する。

そして、本格的な戦争が始まると、死と別れを巡り、これまで以上に、劇的な物語が展開していく。

この巻第七より、平家物語が、ますます面白くなっていく。

2012年6月6日水曜日

巻第六:平家包囲網の完成

清盛の生前から、関東では頼朝が挙兵し、北陸では木曾義仲が挙兵していた。

しかし、清盛の死と前後して、平家の勢力範囲と考えられていた、四国や九州などでも、反平氏の狼煙が上がる。

寺社勢力も、南都は勿論のこと、比叡山、伊勢神宮、熊野も、反平氏に傾いていった。

清盛亡き後の、平家の頭領・宗盛は、そうした中、従一位という最高位の位に昇進する。しかし、すでに平家の命運は尽きていた。

清盛の死とともに、この物語は、平家の滅亡に向けて、大きくその流れを変えていく。

巻第六:女性の敵としての清盛

清盛が死を迎えるこの巻において、その直前に、清盛によって、不幸な生涯を送った女性の物語が描かれている。

その女性の名は、小督。高倉天皇の側に使える女性だったが、関白藤原基房という人物にも好かれていた。それを聞いた清盛は、世の男を迷わせる女であるとして、無理矢理、髪を下ろさせ、出家させてしまう。その時、わずか23才。その後すぎに、小督は命を落としてしまう。

巻第一において、有名な、祇王の悲劇が語られる。そして、清盛の死の直前で、この悲劇が紹介される。どうやら、清盛は、女性にとっては、悪魔のような存在だった、とこの物語では言いたいようだ。

巻第六:高倉上皇の死

清盛の死の直前、高倉上皇も死を迎えていた。わずか19年の生涯だった。

清盛の娘、建礼門院との間に、安徳天皇を設け、立場としては、完全に清盛派であった。しかし、興福寺の焼失や、その後の社会の混乱に心を痛め、死を迎えた。そうした、性格的に線の細い人物として描かれている。


巻第六には、高倉上皇が紅葉がよても好きだったこと。身分の低い武士が、着ているものを奪われた時に、自分の着物をあげた、という、その心優しさを表すエピソードを紹介している。

2012年6月5日火曜日

巻第六:清盛の2つの出生の秘密

平家物語の中では、悪行だけが強調されている清盛だが、この巻では、清盛の出生について、2つのエピソードを紹介している。

1つは、有名な、白河院の子であるという話。白河院が、祇園の住む、祇園女御を孕ませた後で、清盛の父、忠盛にその女を与えたという話。

もうひとつは、清盛が、比叡山の延暦寺の中興の祖、良源の生まれ変わりという話。清盛は、興福寺とは常に対立関係にあったが、比叡山とは、一時は協力関係にあった。このエピソードは、清盛と比叡山の間に、深い関係があったことを暗示している。

巻第六:清盛の死

平家物語の、ちょうど中間にあたる巻第六では、ついに、清盛が死を迎える。

清盛は、猛烈な熱病に襲われる。その熱の強烈さは、清盛の周り、四五間(1間はおよそ1.8メートル)にいると、熱くて堪えられなかった、と記されている。

物語では、清盛がそうした熱病に見舞われた原因として、奈良の東大寺や興福寺を焼失させてしまったからであるとしている。

因果応報は、平家物語をつなぬく、基本的な歴史観であった。