巻第一の中でも、最も有名なのが、この鹿谷において後白河法皇らが、平家打倒の陰謀を画策したというエピソードだろう。
物語の中では、この陰謀に、北面の武士が多く関与したと書かれている。
そしてその後、北面の武士が白河院の時に創設されたこと、そして歴史上に名を残している主要な過去の北面の武士たちを紹介している。
平家物語では、その時の事件をただ描くだけではなく、時にこうした過去の史実も所々に盛り込まれている。
これが、平家物語をして、単なる物語ではなく、歴史書的な印象を私たちに与える。この効果によって、明らかな作り話と思われるエピソードが、真実味を持って、私たちに迫ってくる。
2012年3月31日土曜日
巻第一:延暦寺と興福寺の争い
平家物語の巻第一では、延暦寺と興福寺による、額打論、つまり、どちらの名前の額を先にかけるか、という争いごとが描かれている。
平家が勃興する以前から、比叡山の延暦寺と、奈良の興福寺は、自ら兵士を抱え、朝廷にも大きな影響をあたえる存在だった。
この両者に争いが原因で、清水寺や御所の大極殿が焼け落ちるという事件もこの巻第一で描かれている。
当時の日本の66カ国のうち、半分を収めていた平家といえども、この寺社権力には、慎重に対応せざるを得なかった。
平家が勃興する以前から、比叡山の延暦寺と、奈良の興福寺は、自ら兵士を抱え、朝廷にも大きな影響をあたえる存在だった。
この両者に争いが原因で、清水寺や御所の大極殿が焼け落ちるという事件もこの巻第一で描かれている。
当時の日本の66カ国のうち、半分を収めていた平家といえども、この寺社権力には、慎重に対応せざるを得なかった。
巻第一:祇王をめぐる悲しいエピソード
平家物語の巻第一の中でも、最も印象深いエピソードが、白拍子である祇王をめぐるエピソードだ。
平清盛の目に留まり、その愛と富を得た祇王だが、清盛の関心が仏御前に移ると屋敷を追われる。
祇王は一度は再び清盛の前で舞うことになるが、そのショックから、母親や妹ともに尼となり、嵯峨の山里で暮らすようになる。
ある日、自分を追い出す原因となった仏御前が訪ねてくる。仏御前も、祇王と同様に、人の心の移ろいを感じて、清盛の元を離れたのだった。
この悲しいエピソードには、白拍子とよばれた人々の置かれた状況が、どのようなものであったのかが、よく描かれている。
平清盛の目に留まり、その愛と富を得た祇王だが、清盛の関心が仏御前に移ると屋敷を追われる。
祇王は一度は再び清盛の前で舞うことになるが、そのショックから、母親や妹ともに尼となり、嵯峨の山里で暮らすようになる。
ある日、自分を追い出す原因となった仏御前が訪ねてくる。仏御前も、祇王と同様に、人の心の移ろいを感じて、清盛の元を離れたのだった。
この悲しいエピソードには、白拍子とよばれた人々の置かれた状況が、どのようなものであったのかが、よく描かれている。
巻第一:海に縁のある平清盛
平家物語によると、平家が繁栄を遂げることができたのは、熊野権現のご利益による、としている。
平清盛が、伊勢から船で熊野権現を参拝した時、出世魚である鱸が船に飛び込んで来たという。この時、清盛は安芸守であった。
中国から取り寄せた高級品の数々が屋敷に飾ってあったという趣旨の記述もあり、海洋貿易で富を得たことが暗示されている。
平清盛が、伊勢から船で熊野権現を参拝した時、出世魚である鱸が船に飛び込んで来たという。この時、清盛は安芸守であった。
中国から取り寄せた高級品の数々が屋敷に飾ってあったという趣旨の記述もあり、海洋貿易で富を得たことが暗示されている。
巻第一:ごった煮の物語
平家物語は、実に、ごった煮の物語だ。
出だしは、有名な”祇園精舎の鐘の声・・・”で始まり、この物語が平家の没落の物語であることを明確に宣言する。
しかし、現代の小説のように、きっちりとした骨格がある訳でなく、歴史的な事件を紹介したり、過去の似たような事件を紹介したり、平家にまつわる人々のエピソードを不必要に長く紹介したりする。
しかし、そうしたところが、この物語の魅力でもある。
出だしは、有名な”祇園精舎の鐘の声・・・”で始まり、この物語が平家の没落の物語であることを明確に宣言する。
しかし、現代の小説のように、きっちりとした骨格がある訳でなく、歴史的な事件を紹介したり、過去の似たような事件を紹介したり、平家にまつわる人々のエピソードを不必要に長く紹介したりする。
しかし、そうしたところが、この物語の魅力でもある。
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