大原の寂光院に住む建礼門院の元に、後白河法皇が訪れる。
後に描かれた絵画などでは、後白河法皇が一人、さびれた寺を訪れる、というイメージで描かれているが、この物語の中では、随行に20人弱ほどを引き連れての、大掛かりな御幸として描かれている。
建礼門院は、夫の高倉天皇が、若くして亡くなった後に、清盛の手によって、後白河法皇と再婚させられそうになったが、さすがにこれを固辞した、ということがあった。
後白河法皇が訪れたとき、迎えにでた女性が、実は平治の乱で不運の死を遂げた信西の娘であることが明かされる。
平治物語も読んでいる人は、このシーンでいろいろな感慨にふけることだろう。そんなところにも、この物語の作者の、心憎い演出が見て取れる。
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