治承4年(1180年)6月、清盛はついに福原への遷都を決行する。桓武天皇の794年の京への遷都以来の遷都の衝撃は、大変なものだった。
物語の中では、神武天皇以来の遷都の例を事細かに紹介しながらも、桓武天皇以降は行われていないことを、これでもかと強調している。
さらに、平氏の先祖は、桓武天皇に繋がることを紹介しながら、その桓武天皇の決めた都から離れることは、何と恐れ多いいことか、と嘆いている。
しかも、福原は、海に面していたことから、町の作りも五条通りまでしか造れないほど狭かった。
京の都には、次のような和歌が内裏の柱にかけられたという。
咲きいずる花の都をふりすてて風ふく原のすえぞあやふき
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