2012年5月16日水曜日

巻第五;奈良炎上す

清盛は、何かと反抗する奈良の興福寺に対して、いよいよ追討命令を下す。

4万人の軍勢が奈良に2方から押し寄せ、火を放ち、興福寺を始め、奈良一帯は火の海と化した。

東大寺の上にのぼった人はおよそ1700人。建物もろとも焼け落ちたその様子は、まさに地獄絵だったという。このような法難は、中国にもインドにも例はない、と物語は語る。

平氏の軍勢から逃れた人々は、吉野、あるいは山奥の十津川村にまで逃げたという。

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