木曾義仲は、この物語の中では、戦にはめっぽう強いが、田舎育ちで、垢抜けない、田舎者として描かれている。
猫間中納言という人物を、その名前から、”猫殿”と呼び、文字通り猫のように扱う、というエピソードはその典型だろう。
また、法住寺合戦で勝利を収めた後、自らの処遇について、後鳥羽天皇がまだ幼いのでおかっぱ頭で、後白河法皇が剃髪していたことを受けて、自分はおかっぱにもなりたくないし、剃髪もしたくないので、いっそ関白にでもなろうか、と発言。
同席していた人間から、源氏の人間は関白になれない、とたしなめられている。
そうした木曾義仲の行動については、幼い頃から木曽の田舎に育ったので、都での暮らしや、そこでの振る舞いがわからなかった、とされている。
2012年6月24日日曜日
2012年6月23日土曜日
巻第八:大蛇を祖に持つ武士
平家を太宰府から追い去った豊後国の緒方三郎維義について、平家物語は不思議な話を伝えている。
維義の先祖である女性は、大蛇である男性との間に子を設けたという。
動物を祖に持つという話は、日本のみならず、世界中に伝わっている。日本にも、昔はそうした話が多かったのだろう。
維義の先祖である女性は、大蛇である男性との間に子を設けたという。
動物を祖に持つという話は、日本のみならず、世界中に伝わっている。日本にも、昔はそうした話が多かったのだろう。
巻第八:放浪する平氏
平家は、都を後にし、九州の太宰府に移り住んだ。
しかし、豊後国の緒方三郎維義に追われ、四国の讃岐に移動する。しかしその地で勢力を盛り返し、山陽道、南海道の十四カ国を支配下に置いた。
都落ちした平氏は、すぐに滅亡したイメージがあるが、壇ノ浦における滅亡までは2年あった。その間は、まだ大きな力を持っていた。
しかし、豊後国の緒方三郎維義に追われ、四国の讃岐に移動する。しかしその地で勢力を盛り返し、山陽道、南海道の十四カ国を支配下に置いた。
都落ちした平氏は、すぐに滅亡したイメージがあるが、壇ノ浦における滅亡までは2年あった。その間は、まだ大きな力を持っていた。
巻第八:源氏一族が都を占拠する
平家が権力を握っているときは、都には、源氏一族は、数えるほどしかいなかった。
しかし、平家が都を後にし、源氏の一族である木曾義仲が京都を制圧すると、あちこちから源氏の一族が、都に押し寄せ、都はそうした源氏の一族で溢れ帰った。
近江源氏、摂津源氏、河内源次などなど。
木曾義仲は、それらの源氏をまとめられるわけではなく、都は大きな混乱に襲われる。
しかし、平家が都を後にし、源氏の一族である木曾義仲が京都を制圧すると、あちこちから源氏の一族が、都に押し寄せ、都はそうした源氏の一族で溢れ帰った。
近江源氏、摂津源氏、河内源次などなど。
木曾義仲は、それらの源氏をまとめられるわけではなく、都は大きな混乱に襲われる。
巻第八:後鳥羽天皇の即位
後白河法皇は、平家が京都を去ったのをいいことに、高倉天皇の第4皇子を即位させる。後の後鳥羽天皇である。
平家が、安徳天皇を京都から連れ去っている。この時、日本には二人の天皇がいたことになる。
しかも、平家は、三種の神器も持ち去っているため、後鳥羽天皇の皇位継承の正統性には、はなはだ疑問がある。
これが、後鳥羽天皇には、後々まで大きなコンプレックスになったのだと、言われている。しかし、この物語では、本人はまだわずか4才。自分の周りで起こっていることも、よくわからない年齢だったろう。
平家が、安徳天皇を京都から連れ去っている。この時、日本には二人の天皇がいたことになる。
しかも、平家は、三種の神器も持ち去っているため、後鳥羽天皇の皇位継承の正統性には、はなはだ疑問がある。
これが、後鳥羽天皇には、後々まで大きなコンプレックスになったのだと、言われている。しかし、この物語では、本人はまだわずか4才。自分の周りで起こっていることも、よくわからない年齢だったろう。
2012年6月16日土曜日
巻第七:平家を滅ぼしたのは木曾義仲
この物語によれば、都落ちした平家の数は、およそ7,000人であったという。
平家が木曾義仲を打つべく。北陸に出発した軍勢はおよそ10万人。しかし、倶利伽羅峠の戦いで、木曾義仲の計略によって、平家の軍勢は、7万人が倶利伽羅峠に転落して死亡したという。
にわかには、信じがたい数字だが、この物語の中だけで解釈すれば、平家を実質的に滅亡に追い込んだのは、源頼朝でも義経でもなく、あきらかに、木曾義仲ということになるだろう。
平家が木曾義仲を打つべく。北陸に出発した軍勢はおよそ10万人。しかし、倶利伽羅峠の戦いで、木曾義仲の計略によって、平家の軍勢は、7万人が倶利伽羅峠に転落して死亡したという。
にわかには、信じがたい数字だが、この物語の中だけで解釈すれば、平家を実質的に滅亡に追い込んだのは、源頼朝でも義経でもなく、あきらかに、木曾義仲ということになるだろう。
巻第七:歌人としての平忠度
清盛の父である平忠盛の六男、平忠度。清盛とは異母兄弟であった。和歌に優れ、藤原定家の父である、藤原俊成に師事していた。
都落ちに当たり、その藤原俊成のもとを訪れ、自らの歌集を託した。
源平合戦の後、中断されていた勅撰和歌集、千載集の編纂が再会され、選者の藤原俊成は、読み人知らずの歌として、平忠度の次の和歌を載せた。
さざなみや志賀の都はあれにしをむかしながらの山ざくらかな
何のことはない、シンプルな歌のようだが、次第に、いろいろなことが、心に浮かんくる、不思議な歌だ。
都落ちに当たり、その藤原俊成のもとを訪れ、自らの歌集を託した。
源平合戦の後、中断されていた勅撰和歌集、千載集の編纂が再会され、選者の藤原俊成は、読み人知らずの歌として、平忠度の次の和歌を載せた。
さざなみや志賀の都はあれにしをむかしながらの山ざくらかな
何のことはない、シンプルな歌のようだが、次第に、いろいろなことが、心に浮かんくる、不思議な歌だ。
巻第七:好人物に描かれる平維盛
平維盛は、この物語の中では、”いい物”として描かれている平重盛の嫡男。平維盛も、やはり好人物として描かれている。
平維盛は、妻子を残して都を立とうとするが、幼い子供が自分たちも行くといってせがむ、そのせいで、なかなか出発できない。ここでは、”いい父親役”になっている。
また、木曾義仲との戦で命を落とした、斉藤別当実守の子供たちに、都落ちせずに、都に留まることを許している。ここでは、”いい上司役”になっている。
平維盛の妻は、鹿ケ谷の陰謀に罪により、平清盛によって島流しにされ、命を落としてしまった藤原成親の娘であった。
平維盛は、この物語の中では、平家といえども、悪役の平清盛に対抗する、いい物のグループに属する人物なのだ。
平維盛は、妻子を残して都を立とうとするが、幼い子供が自分たちも行くといってせがむ、そのせいで、なかなか出発できない。ここでは、”いい父親役”になっている。
また、木曾義仲との戦で命を落とした、斉藤別当実守の子供たちに、都落ちせずに、都に留まることを許している。ここでは、”いい上司役”になっている。
平維盛の妻は、鹿ケ谷の陰謀に罪により、平清盛によって島流しにされ、命を落としてしまった藤原成親の娘であった。
平維盛は、この物語の中では、平家といえども、悪役の平清盛に対抗する、いい物のグループに属する人物なのだ。
巻第七:斉藤別当実守の死
木曾義仲を迎え撃った平家の陣営に、武蔵国の出身であった斉藤別当実守がいた。
斉藤は、平家が源頼朝の軍勢と初めて退治した富士川の合戦にも参加した武士で、この時、すでに70才近かった。
すでに髪の毛は真っ白。そこで、出陣にあたって、髪を黒く染め、敵からは壮年であるように見せかけての出陣。しかし、年には勝てず、木曾義仲の軍勢の若い武者に打ち取られてしまう。
たとえ、年老いても、一度戦となれば、自らの家や名誉のために、命を懸けなければならない。髪の毛を染めてまで、戦場に立たねばならなかった斉藤別当実守という存在は、強烈な印象を私の心に残した。
斉藤は、平家が源頼朝の軍勢と初めて退治した富士川の合戦にも参加した武士で、この時、すでに70才近かった。
すでに髪の毛は真っ白。そこで、出陣にあたって、髪を黒く染め、敵からは壮年であるように見せかけての出陣。しかし、年には勝てず、木曾義仲の軍勢の若い武者に打ち取られてしまう。
たとえ、年老いても、一度戦となれば、自らの家や名誉のために、命を懸けなければならない。髪の毛を染めてまで、戦場に立たねばならなかった斉藤別当実守という存在は、強烈な印象を私の心に残した。
巻第七:平家の滅亡の始まり
この物語では、平清盛の死が、平家の滅亡の始まりであったかのように描かれている。
木曾義仲が北陸で挙兵し、倶利伽羅峠で迎え撃つ平家を撃退し、京都に迫る。それを受けて、平家はついに都落ちを決意する。
そして、本格的な戦争が始まると、死と別れを巡り、これまで以上に、劇的な物語が展開していく。
この巻第七より、平家物語が、ますます面白くなっていく。
木曾義仲が北陸で挙兵し、倶利伽羅峠で迎え撃つ平家を撃退し、京都に迫る。それを受けて、平家はついに都落ちを決意する。
そして、本格的な戦争が始まると、死と別れを巡り、これまで以上に、劇的な物語が展開していく。
この巻第七より、平家物語が、ますます面白くなっていく。
2012年6月6日水曜日
巻第六:平家包囲網の完成
清盛の生前から、関東では頼朝が挙兵し、北陸では木曾義仲が挙兵していた。
しかし、清盛の死と前後して、平家の勢力範囲と考えられていた、四国や九州などでも、反平氏の狼煙が上がる。
寺社勢力も、南都は勿論のこと、比叡山、伊勢神宮、熊野も、反平氏に傾いていった。
清盛亡き後の、平家の頭領・宗盛は、そうした中、従一位という最高位の位に昇進する。しかし、すでに平家の命運は尽きていた。
清盛の死とともに、この物語は、平家の滅亡に向けて、大きくその流れを変えていく。
しかし、清盛の死と前後して、平家の勢力範囲と考えられていた、四国や九州などでも、反平氏の狼煙が上がる。
寺社勢力も、南都は勿論のこと、比叡山、伊勢神宮、熊野も、反平氏に傾いていった。
清盛亡き後の、平家の頭領・宗盛は、そうした中、従一位という最高位の位に昇進する。しかし、すでに平家の命運は尽きていた。
清盛の死とともに、この物語は、平家の滅亡に向けて、大きくその流れを変えていく。
巻第六:女性の敵としての清盛
清盛が死を迎えるこの巻において、その直前に、清盛によって、不幸な生涯を送った女性の物語が描かれている。
その女性の名は、小督。高倉天皇の側に使える女性だったが、関白藤原基房という人物にも好かれていた。それを聞いた清盛は、世の男を迷わせる女であるとして、無理矢理、髪を下ろさせ、出家させてしまう。その時、わずか23才。その後すぎに、小督は命を落としてしまう。
巻第一において、有名な、祇王の悲劇が語られる。そして、清盛の死の直前で、この悲劇が紹介される。どうやら、清盛は、女性にとっては、悪魔のような存在だった、とこの物語では言いたいようだ。
その女性の名は、小督。高倉天皇の側に使える女性だったが、関白藤原基房という人物にも好かれていた。それを聞いた清盛は、世の男を迷わせる女であるとして、無理矢理、髪を下ろさせ、出家させてしまう。その時、わずか23才。その後すぎに、小督は命を落としてしまう。
巻第一において、有名な、祇王の悲劇が語られる。そして、清盛の死の直前で、この悲劇が紹介される。どうやら、清盛は、女性にとっては、悪魔のような存在だった、とこの物語では言いたいようだ。
巻第六:高倉上皇の死
清盛の死の直前、高倉上皇も死を迎えていた。わずか19年の生涯だった。
清盛の娘、建礼門院との間に、安徳天皇を設け、立場としては、完全に清盛派であった。しかし、興福寺の焼失や、その後の社会の混乱に心を痛め、死を迎えた。そうした、性格的に線の細い人物として描かれている。
清盛の娘、建礼門院との間に、安徳天皇を設け、立場としては、完全に清盛派であった。しかし、興福寺の焼失や、その後の社会の混乱に心を痛め、死を迎えた。そうした、性格的に線の細い人物として描かれている。
巻第六には、高倉上皇が紅葉がよても好きだったこと。身分の低い武士が、着ているものを奪われた時に、自分の着物をあげた、という、その心優しさを表すエピソードを紹介している。
2012年6月5日火曜日
巻第六:清盛の2つの出生の秘密
平家物語の中では、悪行だけが強調されている清盛だが、この巻では、清盛の出生について、2つのエピソードを紹介している。
1つは、有名な、白河院の子であるという話。白河院が、祇園の住む、祇園女御を孕ませた後で、清盛の父、忠盛にその女を与えたという話。
もうひとつは、清盛が、比叡山の延暦寺の中興の祖、良源の生まれ変わりという話。清盛は、興福寺とは常に対立関係にあったが、比叡山とは、一時は協力関係にあった。このエピソードは、清盛と比叡山の間に、深い関係があったことを暗示している。
1つは、有名な、白河院の子であるという話。白河院が、祇園の住む、祇園女御を孕ませた後で、清盛の父、忠盛にその女を与えたという話。
もうひとつは、清盛が、比叡山の延暦寺の中興の祖、良源の生まれ変わりという話。清盛は、興福寺とは常に対立関係にあったが、比叡山とは、一時は協力関係にあった。このエピソードは、清盛と比叡山の間に、深い関係があったことを暗示している。
巻第六:清盛の死
平家物語の、ちょうど中間にあたる巻第六では、ついに、清盛が死を迎える。
清盛は、猛烈な熱病に襲われる。その熱の強烈さは、清盛の周り、四五間(1間はおよそ1.8メートル)にいると、熱くて堪えられなかった、と記されている。
物語では、清盛がそうした熱病に見舞われた原因として、奈良の東大寺や興福寺を焼失させてしまったからであるとしている。
因果応報は、平家物語をつなぬく、基本的な歴史観であった。
清盛は、猛烈な熱病に襲われる。その熱の強烈さは、清盛の周り、四五間(1間はおよそ1.8メートル)にいると、熱くて堪えられなかった、と記されている。
物語では、清盛がそうした熱病に見舞われた原因として、奈良の東大寺や興福寺を焼失させてしまったからであるとしている。
因果応報は、平家物語をつなぬく、基本的な歴史観であった。
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