2012年8月26日日曜日

巻第十:貴族の論理と武士の論理

天皇を中心とした貴族の時代から、武士を中心にした時代へ。平家物語の時代背景には、そうした、日本の歴史の大きな分岐点がある。それを代表するエピソードが、巻第十の冒頭で紹介される。

一の谷の戦いで、平家の名だたる武将を討ち取った源氏の義経らは、その首を鴨川に晒したいと考えるが、都の貴族たちから大反対にあう。

敗れた敗将とはいえ、平家の武将たちは、それぞれ高い位を持つ貴族でもあった。過去の歴史において、そうした人々の首を鴨川に大量に晒した例はない。

しかし、義経らは、平家は親の義朝を殺した仇であり、その仇討ちの証として、鴨川に首級を晒したいと譲らない。

後白河法皇自らが、義経らの説得に当たるが、結局、義経らに押し切られ、平家の首級が、鴨川に晒されることになった。

このエピソードを見ると、過去からの伝統こそ何よりも重視する貴族と、自らのプラウドとそれを侵された時にはリベジする、という武士の論理の対比がよくわかる。義経が押し切ったということが、貴族の時代から、武士の時代に変わった、ということを、鮮やかに表している。

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