一の谷の戦いで、源氏の捕虜となり、都で幽閉されていた時に、法然上人と出会い、念仏に目覚めた平重衡。
その潔い姿は、頼朝を始めとした、鎌倉武士達からも一目置かれ、鎌倉で、比較的自由な、幽閉生活を送っていた。
しかし、重衡が焼き討ちしたことで焼失してしまった、東大寺を始めとする南都の勢力から、執拗な引き渡しの要求を受けて、ついに頼朝も、重衡を南都側に引き渡すことになった。
南都で殺される直前、妻との最後の別れのシーンが物語に描かれ、人々の涙を誘う。
その遺体は、後に東大寺の大仏を再建することに大いに貢献した、重源の手で、弔われたという。
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