物語も終盤にさしかかり、二人の巨人も、この物語から退場して行く。
建久3年3月13日に、後白河法皇が66才にして死去。若き頃は今様に明け暮れ、天皇には相応しくないといわれながら、後年は、武士の時代に訪れに際し、いかに朝廷を維持するかに腐心した生涯だった。
建久10年1月13日には、源頼朝が53才にして死去。
物語では、後白河法皇の死は大きく扱っているが、頼朝の死は、文覚上人の島流しのエピソードの中の背景としてしか、紹介されていない。
都とそこに縁のある人々を中心にしたこの物語にいて、鎌倉にいる頼朝の存在は、それほど大きな位置を与えられてはいない。
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